東北地方太平洋沖地震
IMF-JC加盟産別が救援ボランティア活動を展開
3月26-27の両日、貸切バスで出動
基幹労連パワーバンクが被災地茨城・鹿嶋市でボランティア活動
被災した家屋から水に浸かって使えなくなった物や破損した物を運び出しトラックに積む基幹労連ボランティア |
東北地方太平洋沖地震の被災地復興のための支援ボランティアの輪がIMF-JC加盟産別の中でも広がりつつある。2011年3月26日(土)、27日(日)の両日、基幹労連の災害救援ボランティア人材バンク「パワーバンク」のメンバー総勢69名が被災した茨城県鹿嶋市からの派遣要請を受けて、被災地域の復興に向けてのボランティア活動を行った。
今回は、JBUパワーバンク登録者709名の中から、基幹労連の派遣要請に応え、初日の3月26日には48名が、二日目の27日には19名が参加した。なお、JBUパワーバンクのメンバーの他に、2日目には、基幹労連組織議員である轟木参議院議員、金属労協本部の浅井茂利(政策企画局次長)職員もボランティアとして参加した。
一行は都内中央区新川にある基幹労連本部前に朝7時半に集合して貸切バスで出発、鹿嶋市役所まで行き、そこから市のバスで被災地まで送ってもらった。ボランティア活動の内容は、市の社会福祉協議会の実施するボランティアに、基幹労連パワーバンクが参加するというかたちを取った。
ボランティアの仕事内容は、1日目は、津波の漂着物や民家で津波に浸かったり、破損して使えなくなってしまった物の運び出し、2日目がそれをトラックに積んでゴミ集積場に運ぶという作業であった。
津波の漂着物の片付け作業をする基幹労連のボランティアメンバー |
今回ボランティアに行った鹿島港は鹿嶋市と神栖市の両市にまたがる太平洋に面した鹿島臨海工業都市に隣接する重要港に指定されている工業港であり、鹿島灘と北浦に挟まれた砂丘を掘り込んで建設された掘込式港でY字型に堀込まれており、地元住民はY字港と呼んでいた。もとの港を掘り進んで、Y字型に新港を作ったところで、Y字の先から津波が襲ってきたということだった。いわば人工のリアス式海岸であったことから津波の被害が大きかったと言える。津波はまず湾岸に近いセブンイレブンを襲ったため、そこの従業員がその地域で唯一お亡くなりになったとのことだった。震災から16日が経った今もコンテナが田んぼに突っ込んでいるし、線路はもう線路とわからないような状態になっていた。道路も地盤の悪いところは陥没したり、隆起したりしていた。
我々がボランティアの作業をしたところは、津波が1メートルちょっとくらいの高さまできたようで、少し高いところにある家は床下浸水、低いところは床上浸水になったようである。ある家では、すでに何の被害もなさそうに普通に暮らしている一方、30メートルくらい離れた家では、人の住める状態ではなく、廃屋状態になっているという、明暗がはっきりしていた。(報告者:浅井茂利 金属労協政策企画局次長)
被災地の状況 |
*注:基幹労連JBUパワーバンク:基幹労連が2007年9月大会で労働組合の新たな社会貢献活動、産別独自の災害救援ボランティアの人材バンク「JBUパワーバンク」を設置。研修として地域開催の「基本教育・訓練」、基幹労連本部主催の「上級講座(リーダー教育)」の受講を義務づけ、JBUバンクに登録している。そして震災等の有事の際に、連合・地域等からの派遣要請を受けて、基幹労連本部としてボランティア派遣を決定した上で、登録されたJBUパワーバンクのメンバーに派遣要請をして、それに応じたパワーバンクメンバーが実際にボランティアに参加する仕組みである。