重要なお知らせ

訃報:金属労協顧問の瀬戸一郎氏(初代事務局長)が逝去

2014年05月30日

瀬戸初代事務局長(85年9月の第24回大会で)

 金属労協顧問(初代事務局長 1964年5月~1988年9月)である瀬戸一郎 氏 (満86歳)が病気療養中のところ、5月7日(水)未明にご逝去されました。

 ここに深く哀悼の意を表し、謹んでご通知申し上げます。

 なお、葬儀等につきましては、ご遺族のご意向により5月1213日に、近親者のみの家族葬にて執り行われております。

 また、弔問、弔電、供花、香典につきましてもご遺族の意向によりご辞退されております。

-------------------

[瀬戸一郎初代事務局長の功績]

 瀬戸一郎氏の功績については、第一に国際金属労連(IMF)日本事務所の初代所長として1957年オルグ活動を開始し、7年間の精力的なオルグ活動を展開してついに1964年5月16日にIMF日本協議会(JC)結成を成し遂げたことがあげられる。オルグ活動は、当時のIMF本部のアジア担当アルフレッド・ダンネンバーグ書記次長との緊密な連携のもとに行われた。当時日本の労働運動はイデオロギー抗争と四分五裂の情勢にあり、金属単産もその情勢下でほぼ10団体が乱立していた中で、協議会方式でIMFへの一括加盟を実現したことは、当時誰も思いもしない快挙であった。国内でJCは結成後数年のうちに春闘のリード役を果たすようになり、労働戦線統一にも一石を投じることになった。

 第二に、初代事務局長としての功績については、事務方としての春闘を展開した周到な役割もさることながら、197080年代の多国籍企業対策への貢献が挙げられる。当時日系企業のアジアを中心とする海外事業展開は勢いを増しつつあり、現地事業所の組合組織化をめぐる労使紛争が多発し始めていた。IMFを通じて現地組合の強い支援要請を受けた瀬戸氏は、効率的に対応すべく多国籍化する企業を相手とする民間労組を糾合し、ナショナル・センターの枠を超えたJC方式で多国籍企業対策労組会議(TCM)の立ち上げに成功した。次いで経営団体に働きかけると、事の重要性から短時日のうちに日本在外企業協会(JOEA)が立ち上がる。そして労働省を軸に政府にも申し入れて、最終的に政労使三者構成の多国籍企業問題連絡会議を立ち上げたのであった。三者構成のシステムを持つ国は、当時なく、世界でも初めての試みであった。

 第三に、IMFのアジア太平洋地域活動における功績としては、1970年代にIMFフィリピン協議会(PC)、IMFマレーシア協議会(MC)、IMFシンガポール協議会(SC)、IMF台湾金属委員会(ROCC)などの結成を仕上げ、諸国・地域の困難だった金属労働戦線統一に大きく寄与したことが挙げられる。人材育成面でもIMF-JCの研修生制度を通じて貢献した。マレーシア金属労組の本部会館には瀬戸さんを顕彰したセト記念ホールがある。

[瀬戸一郎氏略歴]

1927年東京生まれ。1945年国鉄教習所に入る。勤めの傍ら、明治学院大学英文科に学ぶ。奨学金を得て、50年米国オハイオ大学経済学部に入学。修士号を受けて帰国。54年ノースウェスト社に入社。57年IMF日本事務所長。64516日、IMF-JC結成以来、福間知之初代議長と9年間、宮田義二第2代議長と11年間、中村卓彦第3代議長と4年間、コンビ組み、初代事務局長を24年間にわたり勤め上げ、金属労協の基礎づくりに尽力された。88年金属労協副議長。77年から93年までIMF書記次長。93年から金属労協顧問。

 

1976年9月、八重洲の事務所での宮田議長と瀬戸事務局長(前列左)

1957年4月ジュネーブでIMF日本事務所開設で最終打合せをするダンネンバーグIMF書記次長と瀬戸IMF日本事務所長(右)