ジョン・クリステンセン(1946−2004)
UAW国際代表逝去
アメリカ:国際金属労連(IMF)は、ワシントンDCにある全米自動車労組(UAW)のジョン・クリステンセン国際代表が2月16日に亡くなったという知らせを聞いて、深い悲しみに包まれた。同氏は57歳で、夫人と2人のお嬢さんがあとに残された。
ジョンがUAWに加わったのは40年前、ニューヨーク市にあるイーグル・エレクトリック社の同労組支部の組合員になったときだった。まもなく生まれ故郷のウィスコンシン州ラシーンに帰り、農機具メーカーのマッシー・ファーガソンで地方支部の主任代表に就任した。その後、同支部の支部長に選ばれ、1978年にワシントンのUAW国際問題局スタッフに任命されるまで同職を務めた。
ジョンが主要な役割を果たしたのは金属労働者のための国際連帯努力の分野であり、IMFは彼のことをよく知っていた。彼は軍事独裁政権時代のブラジル、「連帯」組合運動初期のポーランド、アパルトヘイト体制下の南アフリカ、投獄された労働組合役員を自ら訪ね、その釈放を勝ち取るために助力した韓国など、各国の労働者・組合活動家の支援を果敢に組織化した。
ジョン・クリステンセン氏の訃報を聞いて、マルチェロ・マレンタッキIMF書記長は、ジョンのことを次のように表現した。「実に寛大な人物で、純粋な労働者であり、労働者とその家族にとって重要なあらゆる問題について他の労働者と議論する機会を決して逃さなかった。彼は真の社会主義者で、世界の労働者階級に自分を重ね合わせていた。会合や会議で『連帯よ永遠に』を歌ったり、この世のどこかにあるどこかのバーで2人一緒に座ってビールを飲みながら『ジョー・ヒルの夢を見た』を歌ったりできなくなるのは寂しい。あまりにも悲しい事実だが、ジョンは、いつものように世界のどこかに旅行に行ったのではなく、もう決して帰ってこないし、自分が出会った人々について、いろいろな話を聞かせてくれることもない。彼は何日か家を留守にして韓国や南アフリカ、ブラジルへ飛び、獄中の労働組合幹部を訪問することがあった。彼の人生は短すぎたが、彼の思い出は永遠に残るだろう」
UAWは4月2日にワシントンで追悼式「国際連帯よ永遠に――ジョン・クリステンセンの人生を祝福して」を計画している。
[2004年2月17日]
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