IMFニュースブリーフ
ビクター・ルーサー氏(1912-2004)

金属労働者は国際連帯の擁護者の死を悲しんでいる。


アメリカ
:社会正義と労働者の諸権利を求めて長年にわたって懸命に闘ったアメリカ労働運動の先駆者、ビクター・ルーサー氏が、2004年6月3日に心不全のため92歳で亡くなった。
 ビクターと兄のウォルター、ロイは、1935年に全米自動車労組(UAW)の設立に尽力し、同労組の形成において枢要な役割を果たした。
 ビクターは1936年にデトロイトのケルシー・ヘイズ・ホイール・カンパニーで組立ライン労働者として雇用され、1936年から1937年にかけてミシガン州のデトロイトとフリントで有名な座り込みストを指導した。このストによって最終的に、ゼネラル・モーターズ(GM)は同労組との協約に同意することになった。その後、他の国内自動車メーカーもGMに続いた。ビクターは初期にはUAWオルグとして活動し、その後UAW教育局の責任者を経て、1953年に同労組の国際問題責任者に就任し、国際金属労連(IMF)執行委員会にもUAW代表として参加。1972年に退任した。
 ロン・ゲッテルフィンガーUAW会長は、ビクター・ルーサー氏の訃報を聞いて、声明の中で次のように述べた。「国境や文化を越えた国際連帯に関するビクターのビジョンは、今なお当労組の不可欠の原則、すべての国々の労働者にとって不可欠の原則である。ビクターは労働組合活動家を務めた期間に、一個人としての素晴らしい勇気を示し、労働者の団結権を求めて大きな個人的リスクに耐えた……よりよい世界に関するビジョン、他の人々と協力してそのビジョンを現実のものにしようという決意を失うことは決してなかった。彼が示した模範、彼が達成した業績は、今もUAWの男女組合員に刺激を与え続けている――そして、将来世代にも刺激を与え続けるだろう」
 IMFは、ビクター・ルーサー氏のご遺族とUAW組合員に心からお悔やみを申し上げる。
 後日、ワシントンDCで追悼式が開かれる予定である。
[2004年6月4日]