機関誌「IMF-JC」2005冬号

結成40周年記念特別記念講演
「労働組合指導者に期待するもの」

同志社大学名誉教授 竹中正夫

本稿は、04年9月、JC結成40周年記念式典での特別講演の内容を筆者にまとめていただいたものです。文責・編集:IMF−JC

【はじめに】

 今から約50年前、1954年、二人の日本の青年が、シカゴの北の小さな大学町エバンストンというところで開かれた大きな世界会議に出ていました。二人は夜、会議の日程を終え、またやがて日本に帰る日の近づいたこともあり、将来のことを考えていました。一人が、「僕は日本に帰ったら、大学を基盤に労働者教育をしたい」と言い、期せずして30歳前後の青年の夢を語り合ったのです。その一人は、先ほど功労賞を受けられ、明治学院大学の学長を務められました金井信一郎先生です。先生は、ウィスコンシン大学で労使関係を学ばれ、労働者教育として、ウィスコンシン大学が率先して大学レベルの組合指導者の教育をしていることをつぶさに見られ、明治学院でそれを実践しようと志されたのです。もう一人の青年は私で、イェール大学で社会倫理学を研究し帰国の途にありました。50年たって、その二人が今回、IMF−JC結成40周年に功労賞を受けることになったことは、まさに不思議な恵みであると思います。

【関西における労働リーダーシップコース】

第1回労働リーダーシップコースでは、
「経営と人間」の講演に松下幸之助氏を
迎えた(69.12京都・関西セミナーハウス)
 たしか1969年の夏前であったと思います。そのころJCの初代議長をしておられた前参議院議員・福間知之さんと、JCの初代事務局長であった瀬戸一郎さんのお二人が、金井先生とともに関西セミナーハウスをお尋ねくださり、「東ではリーダーシップコースが始まっているけれども、西でもひとつやってくれないだろうか」、という提案がありました。
 そのとき私は、「3週間、寝泊まりの合宿形式でやりたい」と希望しました。合宿というと、ラグビーや相撲の合宿のようですが、私のイメージしたのは、カレッジエイト、英国の学寮です。アメリカでも、私の勉強したイェール大学では、学寮、カレッジというものがあり、そこで寝泊まりしながら、まさに24時間寝食をともにして、そこで全人格的な人間形成をするわけです。
 かつては日本でも、それにやや似たものが旧制高等学校の寮で行われていましたが、戦後ではそういうものはほとんど行われていません。個人主義的にアパートメント化されるか、全体主義的な、ある特定のイデオロギーの人達が占拠した寮となっています。それぞれの人格を尊重しながら、自由と規律の中に一緒に学び合うというところは、日本の大学教育ではほとんどないといっても過言ではありません。今日まで、JCの労働リーダーシップコースが合宿形式で進められていることには、意味があると思います。


【経営者との話し合い】

 第1回のときから、日本のトップレベルの経営者の方に来ていただきました。第1回、松下幸之助氏、つづいて日向方斎氏、新日鉄の副社長をされた武田豊氏、国鉄の改革に尽力された亀井正夫氏、03年1月には、三洋の井植会長、そして、04年1月はシャープの辻相談役・前社長に来ていただきました。
 これは象徴的なことですが、労働組合の指導者がユーモアをもち、見識を持って、トップレベルの経営者と対等に話し合う、そういう力量のあるリーダーをつくりたいという私どもの願いにほかなりませんでした。

【巣立った人びと】

 その成果としては、人数にすると、東日本コースでは935人、西日本コースでは1,176人、合計2,111人。私は、その人たちの名前を、一人一人ここに書いてみたい気持ちもします。日本の労働組合運動のみならず、地域社会や、日本の政治運動において、有力な働きをされた方々が、この東と西のリーダーシップコースから排出されていることを、私どもは喜びとしたいと思います。
 先ほどご紹介のありましたJCの今回の古賀議長も、西における第15回の卒業生です。また、副議長で基幹労連委員長の宮園さんも、第15期の卒業生として、同じ釜の飯を食べられた方々です。それぞれが一隅を照らし、地の塩として、それぞれの場所に生きている人々の群れが輩出されていると言っても過言ではありますまい。。<ページのトップへ>

四つの柱

私は、リーダーシップコースのカリキュラムの柱にならい、次の四つの視点から考えてみたいと思います。
【I.歴史的考察】
 一つ目は、「縦」で、「労働組合運動の原点」に関する歴史的な考察です。この点では、我々の大先輩の宮田元議長を煩わし、現在でも「戦後50年における労働組合運動」という題で、毎年、大変熱のこもったご講演をいただいています。

◎永岡鶴蔵という人
 ここで私は、労働組合運動が日本ではどこから始まったかということの一つの例として、隅谷三喜男教授の『ともしびをかかげて−人物日本社会運動史』という書物から、一人の人物を取り上げてみたいと思います。
 それは、永岡鶴蔵という人のことです。彼は1863年に生まれ、1914年に亡くなりましたが、炭鉱で働いた鉱山労働者です。そのころの鉱山労働者は、1つの山から次の山へ、そしてまた、次の炭鉱に移るというふうに、渡り鳥のように移り歩いていました。彼も初めは四国で始め、秋田県の銀山に入り、最後は夕張の炭鉱に行っております。
 1886年、秋田の院内の銀山に入ったとき、彼は自分の楽しみを「遊廓の二階で遊ぶこと。二.博打を打つこと。三.喧嘩をすること」、と書いています。こういう状況が労働の場でした。彼もそういう仲間として遊廓で遊び、博打を打ち、けんかをしていたわけです。
 ところが、ある改心をする機会があり、彼は職場の仲間とともに、大日本労働至誠会という、まことにささやかな職場の友誼団体をつくります。その憲法に、「一.労働者の品位を高めること。二.独立自営の品位を養うこと。三.勤倹貯蓄を実行すること。四.会員互いに相親しみ相助けること」とあります。大変な変わり方をし、素朴な形で職場の仲間づくりをいたします。
 彼はそのころは夕張の炭鉱にいました。しかし、日本全体の坑夫組合の組織をという要請にこたえることになりました。7名の家族を雪の中におき、一家の家族道具を売り払い、それを旅費といたします。そして、「イマタツ・ウミユク」と東京に打電し、海路、東京に向かったのです。
 時代は変わっている。非常に変わっています。しかし、こと労働組合ということに関しては、私はこの精神を忘れてはならないと思います。職場の中の仲間が互いに励まし合い、助け合い、そして、独立自営の品格ある人間づくりをするという、素朴な出発を我々の先達者たちはしたのだということを、我々は銘記すべきではないでしょうか。<ページのトップへ>

【U.現場について】
二つ目は、「点」で自分の立つ場について学ぶことです。よくリーダーシップコースの受講生に言うのですが、組合員の人は非常に頭の回転が早く、よく言えば、非常にまとめるのがうまい。要領よくまとめて、情宣に流している。もう少し問題を咀嚼する必要があるのではないか。問題を掘り下げて、とことんまで話し合う、そんなに簡単に結論が出るような問題じゃない。もっとそれぞれの根を深く話し合い、ああだこうだと言いながら、どうしたらいいかを思案をすることが、我々のリーダーシップコースには必要ではないかと思います。
 そういうところから、委員を挙げて、テーマを別に、出店方式で討論会を一夕もっています。最近あつかったテーマは、「技術革新と労働組合」、いわゆる「組合ばなれ」、「労働組合と政治」、今年は中国から邱レイギンという若い女性の方の参加を得て、中国問題を一緒に考えました。「成果主義と人事考課」、さらに「日本的労働組合の長短」というようなことを論じてきました。

 ここでは「日本的労使関係の課題」というテーマを取り上げてみたいと思います。
 第34回のリーダーシップコースに講師として来てくださった方に、ジェームズ・リンカーンという方がおられます。この方はカリフォルニア大学のバークレー校の社会学の先生です。この方が言われた言葉を、私はいまだに記憶しております。彼は古いことわざを通して言われました。“Don’t throw the baby out with the bath water.”赤ん坊にお湯を使わせるとき、赤ん坊まで流してしまうな、という諺を引き、日本の労使関係のよい特色はぜひ保つべきであるということを力説されました。
 もう一人、英国のロンドン大学の名誉教授のロナルド・ドーア教授の意見に触れたいと思います。最近、『日本を問い続けて』という書物を出しておられます。彼が1950年に、初めて日本に来られたとき、一番印象的であったのは、多くの日本のインテリたちがよく使った、日本の近代化という言葉でした。しばらく前、1990年代になると、「規制緩和」ということがよく言われた。しかし今日では、彼は、「コーポレート・ガバナンス」ということがよく言われる、と言っておられます。「コーポレート・ガバナンス」という、日本人にとっては舌の回らないことを日本人はよく使っている。お役人も研究所の人も大学の先生も経営者も、労働組合の人も、「コーポレート・ガバナンス」ということを言っている。それは日本企業の統治構造ということになるだろう。しかし、だんだん中身を調べてみると、どうもアメリカの企業形態に合った形の追従的な議論が多いのではないか、と彼は言います。「コーポレート・ガバナンス」という言葉を用いるのに自分はあえて反対しないが、日本の企業と、アメリカの企業の仕組みや、しきたりがかなり違うということをよく知ってから用いるべきだと言っておられます。

 例えば、アメリカの企業は、管理能力者を外部の労働市場から引き抜いてきて、株主の利益を最大化するために、その人に社長という仕事を与える。アイア・コッカが業績を上げているというのを認めて、フォードからクライスラーに引き抜くというようなことは、その一例です。
 日本の企業の場合は、もちろん、例外はありますが、おおむね内部の人材から取締役、常務、専務、副社長、社長というのが出てきている。そして、それらの人たちは、もちろん、株主の利益ということを考えますが、主には従業員の福祉というものを中心に考えている人たちが多い。
 そうしてみますと、アメリカの社長は、株主本位で、その報酬もストックオプションや株価に比例して定められていることがかなり多い。日本の社長の場合は、日本の企業全体が、これも変化しつつありますが、おおむね終身雇用制度が中心になっているので、従業員の共同体がそこでは中心となり、社長はその従業員全体の長老のような役割をしているのではないかと思われます。<ページのトップへ>

◎倉敷の「義倉(ぎそう)の精神」
日本的な共同体の精神として、岡山県の倉敷の義倉の精神に触れたいと思います。倉敷における義倉の伝統は、1769年にさかのぼります。明和6年、これは各戸に役員が挙げられ、その人たちがまた査定をして、それぞれの収入や力量に応じて麦の俵を拠出するわけです。そして、それが飢饉のときには、貧しい人たちや、恵まれていない人たちを中心に配付されるという制度です。一時中座しますが、明治3年、1870年には、林孚一という人が郡長になり、その義倉を復活させます。それに応じたのが大原幸四郎という人です。木村和吉という倉敷の町長を務めた牛乳屋さんも、その精神に応じました。
 そういう点では、1つの職場あるいは企業という現場において互いに助け合うコミュニティづくりが、労働組合の重要な役割ではないかと私は思っています。

◎二人の思想家たち
 そこで、二人の私の尊敬する民主主義の思想家を短くご紹介します。
 一人は英国の思想家で、Edward Morgan Forsterという人です。1879年から1970年まで英国に生きた人です。英国の批判的な評論家であり、非常にポピュラーな小説家でもありました。1951年に『Two Cheers for Democracy』という書物を書いています。『デモクラシーを支援する二つの理念』という題です。一つの理念は、個人の主体的自由を重んじ多様性を認めること。これは我々日本人に非常に欠けている点だと思います。ちょっと違う意見が出たらすぐ村八分にしてしまうという習慣が、私たちの中にあります。二つ目は、批判する自由を認めることです。私はこれも非常に重要なデモクラシーの精神だと思います。
 二人目は、Reinhold Niebuhrという人です。彼は1892年から1971年まで活躍した米国の思想家です。彼は若い頃、26歳から36歳まで13年間、デトロイトで、青年牧師として働いていました。非常に貧しい移民たちの小さな教会の牧師でした。そのときに、失業者がどんどん出てくる。彼はその失業者の家や、健康を害した労働者の家を訪ねる。そこで彼は青年牧師として無力感を味わいます。巨大な産業社会、その歯車の中で、人々はバタバタと倒れている。しかし自分は個人として何もできないという無力感を彼は持ちます。そして、彼は、社会的な不正、社会的な悪というものは、非常に巧妙であるだけではなく、集約的なものであり、それをチェックするには集約的な対抗力が必要であるという現実的な考えを持つにいたるのです。

 そこから彼はデモクラシーについて次のようにのべています。“Man’s capacity for justice makes democracy possible”、人間には正義を行う能力がある、その能力があるからデモクラシーは可能なのだと肯定的に申します。さらに続けて、“Man’s inclination for injustice makes democracy necessary”、人間はしかし、ともすれば不正のほうに走りがちである。それをチェックするためには、デモクラシーが必要である。まさにこれは名言ではないでしょうか。
 私はそういう産業社会において、コミュニティということを大事にします。また、お互いの現場での助け合い、相互扶助、友愛ということを大事にします。しかし、第3の次元では、産業社会における民主的な相互関連を民主的な集団の相互規制によって行い、そこに正義を確立し、そして、人間を抑圧する力を排除していく必要があると私は思っています。
 私たちの仲間である石田光男先生は、昨年、非常に興味深い示唆ある書物を出されました。それは、『仕事の社会科学』というミネルヴァから出ている書物です。その中に彼はこう言っています。「労使関係とは報酬と仕事について労使が対等に交渉し、合意し、報酬と仕事についての規則を制定、運用する営みである。」そこにおける民主的な相互関係の重要な片方の役割をするものは労働組合であると思います。<ページのトップへ>

 【V.国際関係について】
IMF-JC40周年記念式典での受賞者(右から
竹中正夫氏、中條毅氏、金井信一郎氏、明治学院
大学の大平浩二教授)
三つ目は「横」で、世界の広がりについて学ぶことです。
 IMF−JCの「I」は、インターナショナルです。従って、IMFのリーダーとなるものは、国際的視点を持たなければならない、と私はいつも申しております。1957年、私は初めてヨーロッパに参りました。そのときたまたま開かれた社会問題の会議で、オランダの国会議員のパターインという人に会いました。オランダはご承知のように、日本と同じように植民地を失い、小さな領土となりました。そして、日本よりもっと人口問題、人口の比率が厳しい国です。そこで私は、「パターインさん、オランダの未来に対する希望は何か」と聞きました。彼はじっと考えて、「経済を通して、ヨーロッパの共同体をつくることが、我々オランダ人の望みだ」と答えました。

 それから、47年たちました。初めは経済的な交流でした。しかし、だんだんにそれが結婚や相続法など、そういう民法の規定における相互の理解、さらに、医療や福祉における相互の連携、そして、数年前からはユーロという共通の貨幣を持つようになりました。そして、今日は25の国々が共通の憲法を持とうとしています。もちろん、その中にはいろいろな議論があることを私も承知していますが、この50年間におけるヨーロッパの、あるいは、世界と言ってもいいでしょう、人類の大きな変化は、EUという共同組織がつくられつつあることであると思っています。<ページのトップへ>

【IV.こころの深さ】
 さて、最後の四つ目は「深さ」といって心の問題を考えるわけです。
 もちろん、JCのリーダーシップコースにおいては、信教の自由というものがあります。宗教はそれぞれ自由です。我々は禅寺に行って座禅を組むこともありますし、また、聖書の話を聞くときもあります。あるときは、比叡山に行って修練したこともありました。
 ロンドン経済大学の教授をつとめ、最近亡くなった森嶋通夫氏の『なぜ日本は行き詰まったか』という書物があります。これは実に暗い題です。彼自身その序文で、自分はチャイコフスキーの「悲愴」を思いながらこれを書いていると言っています。虚無からゆっくりと上がってきて、また、虚無へ沈んでいくという交響曲です。これが日本の現状であると彼は言っています。その中にあって我々は、自分自身がそこをはい上がっていく精神的な力を、根拠を持たなければならない。

 内村鑑三は札幌農学校で水産学を学び、魚のことはよく知っていました。その彼が、「死んだ魚は流れに従って流され、生きた魚は流れに逆らって泳ぐ」と言っています。我々は、流れに逆らっても、生きた魚として、これはやはり日本の働く者のためになすべきことだというビジョンを持っているでしょうか。
 ここでちょっと、司馬遼太郎に登場してもらおうと思います。彼はご承知のように、長岡藩の侍、河井継之助という人をテーマにした小説、『峠』を書きました。その中で彼はこう言っています。「『志の高さ、低さによって、男子の価値が決まる。このことを今さらおれが言うまでもあるまい。ただ、おれが言わねばならぬのは、』と継之助は息をひそめた。『志ほど、世に溶けやすく壊れやすく砕けやすいものはないということだ。』」
 あの碩学、マックス・ウェーバーも同じようなことを言っています。第一次大戦でドイツが負けます。そして、彼自身も健康を害し、悲嘆の中にありました。まさにチャイコフスキーの「悲愴」の交響楽の中にあったわけです。しかしながら、1919年6月、ミュンヘン大学に教授として復帰します。そのとき、学生たちの希望に応じてなした講演、『Politik als Beruf』が岩波から出版されています。岩波の本はこの題を『職業としての政治』としていますが、「Beruf」を「職業」と訳すと、なかなか日本人にはよくわからない。私は「天職としての政治」と言いたいと思います。彼は、政治は悪魔が支配する世界であり、悪魔は老人であると言っています。だから、そういう世界で生きるためには、我々は天職感を持たなくてはならない。この仕事に自分は召されている、という使命感を持たなければ、政治にはかかわることはできないと言っています。

 彼はこう申します。「政治の領域で働こうとするならば、指導者であらねばならないし、それのみならず、むしろ――非常に単純な語の意味において――英雄でもなければなりません。そしてこの両者でないものは、すべての希望の挫折にも耐えうるような、あの心の確かさをもって、すぐただ今から身を整えなければなりません」と。「この世が、余りにも愚鈍であり、卑俗であるとしても、すべてのものに直面して、『にも拘らず』挫折しないことが確実であるもの、ただこのことを知るもののみが、政治への天職(Beruf)を持つものである」というのです。
 私はこの政治という言葉を、「労働組合の指導者」と置きかえてもいいのではないかと思います。この世があまりにも愚鈍であり卑俗であるとしても、すべてのものに直面して、「にも拘らず」という挫折しないことが確実であるもの、ただこのことを知るもののみが、労働組合運動への天職を持つものであると、言いかえてもいいのではないでしょうか。<ページのトップへ>

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